【企画中】2027年の羊年は、四季のバス旅で干支詣(えともうで)に参りましょう!

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2027年の干支は、羊(ヒツジ)。四季のバス旅で、干支詣(えともうで)に参りましょう!

日本には「羊神社」(ひつじじんじゃ)と呼ばれる神社が2箇所あり、愛知県名古屋市と群馬県安中市に、それぞれ鎮座しています。

皆様も、気になると思われますので、行ってきました。群馬県の羊(ヒツジ)神社へ。

 

"羊”の漢字を見ると、
「美」「善」「義」「養」「鮮」「洋」など、良い意味の多くの漢字に使われています。

群馬の“群”にも”羊”が隠されてます。

特に、「美」には「羊」が含まれているため、美しさの象徴であり、「吉祥」の「祥」にも羊含まれていることから、 幸運をよぶ動物としても考えられています。

 

右の狭い路地を進むと・・

 

車2台分しか停めることが出来ない、羊(ヒツジ)神社がご鎮座してます。

当社は多胡新田とも呼ばれる宇久保に鎮座し、創建の由来は多胡郡の多胡一族が上里見村真野(多胡神社鎮座)に落ち延び、その後延宝年間に下秋間字日向(堂宇鎮座)と当地へと移住すると共に、多胡新田を開発し、祖神とする多胡羊 太夫藤原宗勝公を祀り、享和2年(1802)正式に多胡羊霊を祀った。また縁記に『多胡羊太夫由来記』などが伝えられ、それに依れば、羊太夫宗勝は脇羽の生えた若者と権田栗毛という名馬を持ち、一日で都を行き来し参勤し、功により藤原姓も賜ったが言で官軍に攻められ、最期は金色の蝶となり飛び去ったという。また羊太夫は、秩父で和銅を発見し、その功により多胡郡を賜り、記念に「多胡碑」を建てたとされ、境内にはその碑文の「多胡宮羊太夫宗勝神像位」碑がある。平成九年には、六十余軒の氏子により社殿、十二社を新築し、遷座祭を行い、翌年、狛犬と三峯社、同鳥居も建立された。祈祷棟札に大先達龍正院奉修護摩供と享保16年拾二社繁盛祈遷、明治16年の奉再拝、17太々神楽執行札がある。社紋は下り藤に五輪の塔。
【兼務社 咲前神社HPから抜粋】

 

 

とても小さい神社です。 多胡 一族の方がお守りしてます。

 

羊さまに光が指してます!綺麗に撮れました。

羊神社は、咲前神社の兼務社となりますので、御朱印・御守りは、咲前神社で行ってます。

 

こちらは咲前神社 (さきさきじんじゃ)です。

■由緒 :当鎮座地は神代、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って上野国と信濃国の国境の荒船山に御出陣の時の行在地であると伝わる。
安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石」三柱の御出現を仰ぎ、時の朝廷に上奏したところ、奉幣使、磯部朝臣小倉季氏と共に高椅貞長、峯越旧敬を伴い上毛野国に御下向があり、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」をお祀りし、社を建てられた。
それ以後、磯部朝臣が祭司を司った。敏達天皇元年(572)、第3代磯部朝臣小倉邦祝は磯部郷小崎の里に居を構え、以降小崎を名乗る。白鳳元年(650)、第11代小崎邦平は、神託により抜鉾大神を神楽の郡(甘楽郡)蓬丘菖蒲谷に御遷座する。供奉の道筋では、七五三原(しめきはら)でまず神事があり、明戸坂で夜明けがあり、宇田で御旅所となり御遷宮された。現在の一之宮貫前神社である。
磯部郷前宮(さきのみや)跡は、先の宮として崇め咲前神社が祀られた。この時改めて香取神宮より経津主大神を勧請し大己貴命(おおなむちのみこと)、保食命(うけもちのみこと)が祀られた。以後の祭祀を藤原姓和太氏が司る。
平安朝後期に成立したと思われる『上野国神名帳』には、「碓氷郡 従五位上咲前明神」と記され、ご分霊として「片岡郡従五位上咲前明神」が見える。
室町期には、応永8年(1401)1月7日、足利満兼により新田庄平塚郷一町が寄進されている。
■咲前神社HPより抜粋

 

ご祭神は、健経津主命(たけふつぬしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)
保食命(うけもちのみこと)

当鎮座地は神代、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って上野国と信濃国の国境の荒船山に御出陣の時の行在地であると伝わる。
安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石」三柱の御出現を仰ぎ、時の朝廷に上奏したところ、奉幣使、磯部朝臣小倉季氏と共に高椅貞長、峯越旧敬を伴い上毛野国に御下向があり、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」をお祀りし、社を建てられた。
それ以後、磯部朝臣が祭司を司った。敏達天皇元年(572)、第3代磯部朝臣小倉邦祝は磯部郷小崎の里に居を構え、以降小崎を名乗る。
白鳳元年(650)、第11代小崎邦平は、神託により抜鉾大神を神楽の郡(甘楽郡)蓬丘菖蒲谷に御遷座する。
供奉の道筋では、七五三原(しめきはら)でまず神事があり、明戸坂で夜明けがあり、宇田で御旅所となり御遷宮された。現在の一之宮貫前神社である。
磯部郷前宮(さきのみや)跡は、先の宮として崇め咲前神社が祀られた。この時改めて香取神宮より経津主大神を勧請し大己貴命(おおなむちのみこと)、保食命(うけもちのみこと)が祀られた。以後の祭祀を藤原姓和太氏が司る。
平安朝後期に成立したと思われる『上野国神名帳』には、「碓氷郡 従五位上咲前明神」と記され、ご分霊として「片岡郡従五位上咲前明神」が見える。
室町期には、応永8年(1401)1月7日、足利満兼により新田庄平塚郷一町が寄進されている。

 

 

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