歴史好きにはたまらない? 「金ヶ崎の退き口」で有名な場所にご鎮座。敦賀の恋の宮「金崎宮」。
更新日:2026.04.07

この記事の筆者紹介

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添乗員の松本です。時間があればどこかに旅行をしてます。旅行をするために仕事をしています。
生活にメリハリをつけ、日常を離れて、功徳を積み、神仏の心に触れることで自らを高め、
自分と向き合うために、全国各地に心の旅に出ています。
目標は、足腰が丈夫で元気なうちに、全国の一ノ宮を全てを巡り、2回目の四国遍路を歩いて満願したいと思ってます。
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「氣比神宮」から徒歩20分。金ヶ崎城址の麓に金崎宮(かねがさきぐう)が建っています。
金ヶ崎城址の麓にある神社で、最近は、恋の宮「花換え」と「恋の宮」、難関突破の地として知られてます。


「金崎宮」は、建武中興十五社の一社。
南北朝時代、この地で亡くなった尊良親王と、毒殺された恒良親王を御祭神とする神社です。

また、歴史上とても有名な場所で、南北朝時代の延元元年(1336年)、恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場として知られ、
戦国時代には、織田信長が越前朝倉攻めの際に浅井長政に裏切られ、決死の撤退戦を強いられた「金ヶ崎の退き口」において、窮地を救った明智光秀・豊臣秀吉の殿(しんがり)の地としても知られています。

「恋の宮」と呼ばれるようになったのは、明治時代、金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたそうです。
「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれ、いつしか金崎宮は「恋の宮」と呼ばれるようになりました。


敦賀湾に突き出た金ヶ崎城跡の中腹に鎮座しております。
高台まで階段を利用します。




「金崎宮」は、難関突破と恋の宮。

信長の妹お市の方は、信長が浅井・朝倉両軍に挟まれ窮地に陥ったことを知らせるため、
両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ陣中に届けたそうです。
それを察した信長は近江姉川にて浅井・朝倉軍を破ることができたそうです。
これにちなんで金崎宮で授与されるお守りや絵馬には、両端を結んだ袋の形をしたものがあります。


ご朱印が沢山あります。

お城版の御朱印「御城印」。集めてらっしゃる方はたまりませんね!
私は、建武中興十五社御朱印帳に記帳していただき、残り1社霊山神社(福島県伊達市)だけになりました。

金ヶ崎の最高地(海抜86m)には、月見をしたと伝えらている月見御殿があり敦賀湾が一望できます。


敦賀には、
100年の歴史を持つレンガ建築物 「敦賀赤レンガ倉庫」があり、北棟・南棟・煉瓦塀が国の登録有形文化財されてます。
昭和レトロの雰囲気漂う現役の倉庫群ですね。



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