今年も見事でした!吉野山千本桜と世界遺産の寺社

添乗日記

LINEで送る
Pocket

皆様こんにちは、四季の旅 北原です。

列島中が桜だよりで盛り上がるなか催行された、2022年4月8日夜発の「吉野山千本桜と京都ぶらり散策」ツアー参加報告です。ここでは時期遅れになってしまいましたが、吉野山千本桜をご覧になっていただき、来年以降の参考にしていただければ幸いです。

ツアー概要は、前夜に新宿発・翌朝に吉野山到着、ここで四時間半前後の自由散策。

次に京都の桜を楽しみに京都駅解散。ここではお客様それぞれお目当ての桜名所を目指して約7時間の自由散策。その後、琵琶湖湖畔のスーパーリゾート「雄琴あがりゃんせ」で一日の汗を流して、夜行バスで新宿を目指すスタイルのツアーです。

花矢倉展望台からの風景や、上千本越しの金峯山寺・蔵王堂は吉野山を代表する景観です。

吉野山の桜は、今から1300年前に吉野山山上に金峯山寺(きんぷせんじ)を開いた際、蔵王権現の姿をヤマザクラに刻んだことから「ご神木」として大切にされ、それがいま日本一の桜の名所としての隆盛に繋がっています。

ここでは下千本、中千本、上千本を駆け回って撮った吉野桜と世界遺産の寺社を幾つかお見せいたします。今回は4月8日発ツアーで丁度桜の良い時期でどこも満開。素晴らしい吉野山を体験できました。

吉野山全体を覆う桜は、麓の下千本から中千本、上千本、奥千本へ約20日間前後で順に咲き上り、「一目千本」の吉水神社、花矢倉展望台などのビューポイントから桜の大パノラマを望めます。

■黒門からはじまる世界遺産・金峯山寺(きんぷせんじ)エリア

黒門は金峯山寺の総門で吉野一山の総門でもあり、昔は公家大名といえどもこの門からは、槍を伏せ馬を下りて通行したという格式を誇っていたそうです。また金峯山とは吉野山から大峰山に至る連峰の総称で、修験道関係の寺院塔頭が軒を連ね、それらの総門がこの黒門だったそうです。

世界遺産・銅鳥居(かねとりい)。黒門からの急坂を登りつめたところにあり、すべて銅鋳製。奈良の大仏鋳造の余りの銅で作ったと伝わり、「日本三大鳥居」の一つに数えられています。当時の鳥居は1348(正平3)年に兵火で焼失し、現存の鳥居は室町時代に再建されたものです。

仁王門は、金峯山寺で現存する最古の建造物で、我が国を代表する巨大な楼門です。国宝であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の中核的構成資産に指定されております。また、門内に安置する金剛力士像(仁王像)は、奈良東大寺の仁王像に次ぐ大きさを誇り、国の重要文化財に指定されております。

(仁王像は2028年の修理完了まで、奈良国立博物館が仮住まいです)

桜と共に吉野山のシンボルである世界遺産の金峯山寺・蔵王堂は修験道の開祖・役行者によって奈良時代に創建された修験道の総本山金峯山寺の本堂です。高さ34m、間口36mという堂々たる大きさは東大寺の大仏殿につぐ木造大建築といわれています。現在の建物は安土桃山時代に再建されました。

遠くから見ても山の中腹に浮かぶ大屋根が目を引きます。これは吉水神社近くからの写真です。

足利尊氏に追われた後醍醐天皇が、吉野に南朝を開いた吉野朝宮跡(京都に足利尊氏の北朝、吉野に後醍醐天皇の南朝)

役行者(えんのぎょうじゃ)の開基と伝えられ、1300年の歴史を持つ東南院。本堂・多宝塔・庫裡・客殿からなり、鎌倉期の作と伝えられる大日如来・毘沙門天・不動明王などが祀られています。

桜本坊は、桜の吉夢の縁で天武天皇が建立。役行者にゆかりのある神仏習合の修験道場。

延喜式にも記されている古社で、戦勝の神、芸能の神として祀られ、源義経と静御前の言い伝えも残る勝手神社は、2001年に賽銭泥棒が賽銭の少なさに腹を立てた放火により残念なことに焼失しました。

■中千本エリアと如意輪寺

中千本エリアにある如意輪寺は太平記ゆかりの場所であり、戦に向かう楠木正行が本堂の扉に「辞世の句」を 刻んだ逸話が有名。多宝塔や枝垂桜も見事で、如意輪寺庭園内からの上千本、中千本の眺望は素晴らしい。

如意輪寺庭園から見る中一目千本の桜。

■上千本エリアと、吉野水分(よしのみまくり)神社、花矢倉

桜満開の吉野山を上千本まで辿りましたが、まだまだこの奥に高城山、金峯神社・西行庵などの奥千本エリアに続きます。

上千本エリアに建つ吉野水分神社は世界遺産で、水の配分を司る天之水分大神(あめのみまくりのおおかみ)を主神として祀っています。社殿は慶長9年(1604)に豊臣秀頼よって再建され、桃山時代の美しい特色を今に伝えており、春にシダレザクラが美しく咲き誇ります。

関連記事

音作(おとさく)さんの記事

音作(おとさく)さんのおすすめページ